心のシャドウ

葛藤、怒り、妬みなどのシャドウを受け止めるのは、難しかったり辛かったりしますが、そこで、まごついたり、とまどっていたりしているのは自分の何なのだろうと観ていると、結構、それがエゴだったり、見栄だったり、恐怖心であったりします。その心の身構えが心にも体にも緊張を生じ、本来、とどまることなく移り変わっている生命の流れを妨げてしまうのでしょう。
 

「葛藤は受け止めることで、イメージ、夢として現れる。それを味わうことで夢やイメージは変化し、やがて統合される。」と聞きますが、分かる気がします。味わうというのは、まさに、生命エネルギーの表現である感覚をあるがままのバイブレーションとして知覚し意識していることなのですから。

見栄や自尊心に流されずに、自分のシャドウと正直に向き合い、認めてしまったとき、おのずと生命は本来の変化し続ける状態に帰るのでしょう。そんな時、自分は、緊張から解放されほっと安らぎます。生きていることを生身で味わっているような感動を覚えます。

恥ずかしくて、長い間認められなかった自分の過ちを、あえて意識をして「ごめんなさい」と謝るときのあの解放感は、何とも言えません。恥ずかしいという気持ちよりも、ついに自分のエゴを超えることができたという喜びで一杯になるのです。(三浦敏郎)

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