身体感覚に宿る過去の記憶

私たちの体に心が宿るとか、筋肉は過去の経験を記憶しているということをよく言いますが、フェニックス・ライジング・ヨガセラピーのセッションをくり返し行なっていると、まったくその通りだと実感します。

ある女性クライアントのセッションでは、本人の希望で、ヨガムドラ(*)の姿勢を補助しながら保っていました。彼女は、右肩から右胸への強烈な痛みを感じながらも7~8分保っていました。その後のリラクセーションでは、子供の時に右の前腕を骨折して、不自由で痛々しい記憶が蘇ってきたのですが、本人はそのことをすっかり忘れていたのだそうです。(*ヨガムドラ:正座の姿勢から、両手を背後で組み、頭を前の床へ下げ、両腕を後ろから高く天井へ向けて伸ばすポーズ)

記憶は、しばしば、その時に体験していた感情や思考と共に蘇って来ます。ある男性とのセッションでも、彼の右足を垂直に上げて保っていたら、「胸がドキドキする」と言うので、そのまま、その感覚を感じているように促していました。すると、プールに飛び込むために順番待ちしていた子どもの時の記憶が、その時の緊張や不安と共に、突然、湧いて来たと驚いていました。

ヨガムドラをした女性の場合、普段のヨガの練習では自分から痛みが起きるほど高く両腕を上げて保つことはしないそうです。セッションを振り返って、彼女は、涙を浮かべながら、「生きていくには、痛みはつきものですね。その痛みから逃げずに、しっかりと感じていることが生きる上でとても大切なことなんだと思いました」と感想を語ってました。

私たちの多くは、苦痛や不安といった体験に出会うと、それにどう対処したらいいのか分からなり恐くなります。また、そのようなことに向き合っている時間的余裕もなく、その状況を十分に体験しないまま過去の出来事として忘れてしまいます。

ある心理療法の分野では、このような中途で終わらせた体験状態を”unfinished business”(未完の責務)と表現しますが、忙しい生活に流され、日々出会う体験に触れる時間が十分なければ、中途半端な体験で終わってしまいます。

社会的には何かを達成することは多くても、個人的な人生の体験としては、どこか「未完」のままで終わらせていることが多いものです。悲しみも喜びも、ゆっくりと自分の体験として噛み締め、味わう余裕のない私たちの心は、どこか不安や恐れで緊張しています。

不安や恐れに対して心を閉ざせば、自分自身に対しても、他者に対しても心を閉ざす傾向が生じます。さらに、心を閉ざせば自ずと淋しさや孤独も増してきます。

普段、注意を向けずにいる体の感覚の一つひとつを、呼吸と共にリラックスして感じ取ること。それだけで、本当に心から感じていたことを知れて心が穏やかになる。ヨガの実践は素晴らしいと思います。

この女性クライアントは、最後の数分間の瞑想で、「もっと気楽に楽しくやりなよ」というメッセージが心の奥深くから聞こえてきたそうです。

私たちが本当はどうしたいのかという答えは、自分たちの内面ですでに分かっているのです。そのことへの理解は、不安や苦痛と共に生きていかなければならない私たちの人生に希望を与えてくれます。

*フェニックス・ライジング・ヨガセラピーは、クライアントの中にある智慧に本人自身の力でアクセスできるようにサポートするヨガセラピーです。[IAYT認定セラピスト 三浦敏郎]

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